【よもやま話】収斂し収まるところで収まるはず

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GW前半は

兄の四十九日のため
僕の実家がある広島に
同居人(嫁)と帰省する
予定でした。

しかしコロナの影響により
取りやめました。

そのため
予定外の時間が出来、同居人と
都内を散歩し過ごす
こととしました。

(できるだけ人がいない辺りを…
ですけど)


どこに行こうかと
話していたところ、

同居人が
「教会に行きたい!」
と言い始めました。

その教会へは
以前、同居人がお友達と行ったそう。

そこで二人、テクテク教会に
向かうことにしました。

最初は
「教会か~、特に興味ないかも…」
と正直思っていましたが、

いやいや
とてもよかったのです。


途中、早稲田大学の横を通り、
神田川や緑濃い公園を突っ切り
教会に着きました。

(道中も自然を感じられる場所
ばかりで、心癒されました。
緑や水、空気って素晴らしい)


教会につくとまずは外観チェック。

その建物はとんがり屋根(風)です。

円錐でもなく、三角錐や五角錐でもなく
なんとも不思議なタカチ。

上方に向かえば向かうほど
室内の空間は狭くなっているであろう
ことは推測できました。

どなたでも無料で入れるらしく
早速僕たちも入ってみました。


教会の中は、

一方向に向かって
いくつもの長椅子が設置してあります。

僕たちはその長椅子に座り
しばし時を過ごすの巻。

静かで、ほんのりとした明かりの中、
前方向を見るとステージらしきものが。

そのステージ手前の
高さ7~8メートル辺りに
四方を煌々と照らす
ライトが吊るされています。

僕はまずそのライトに目が行き、
そのあと上方に視線を移しました。


外観を見た時思ったように

内部の壁が上方にいくに連れ
収斂されており、

建物最上部の天窓からは
優しい春の光が
差し込んでいることがわかります。


その時、

「あっ、今のこの感覚は
”フランダースの犬”の最終回。
ネロとパトラッシュが天に
向かうシーンを見た時と同じだ」

と思いました。

”フランダースの犬”というアニメは
僕たち世代が見ていた漫画です(笑)


僕は宗教的なことはわかりませんが

「(人々を導く)教え」

「教えを具現化し表現したもの」
(この場合は教会)

ってリンクし調和しているんだろうと
感じました。

その時
【人って素晴らしい。昔の人はすごいな~】
と思いました。

(そう感じた瞬間、鳥肌立つの巻)


何の根拠もないのですが、

今のコロナ禍もいつかは収まり
落ち着くべきところに落ち着く
ような気がします。


教会に行った日の夜、思ったことです。

<思ったこと1つ目>
(大変苦しい思いをしていらっしゃる
方たちが沢山いらっしゃると思いますが)

必要以上に慌てふためくことなく
出来ることを粛々と行うのが
良いのだろうな~、多分。

<思ったこと2つ目>
抗うことと、適応するために努力すること、
その違いは何だろう?

また「こっちじゃない」と感じて
軌道修正するタイミングはいつが良いのか?

また軌道修正するための兆候って何だろう?

と思いました。

<思ったこと3つ目>
あの光の先に
先達が待っているんだろうな~

と感じました。

<思ったこと4つ目>
心がざわついた時、

ちょっとした運動・ちょっとした自然に触れる
ほか

先達の知恵に学ぶことって

と~っても有効なんだろうな~
とも感じました。

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